Uターン就職で田舎で農業をやっていた友人を東京でWebデザイナー・マークアップエンジニアに転職させた話

筆者は東証一部に上場しているIT企業に勤めて3年が経過した。それなりに満足した職場環境と給与で働いている。普通のサラリーマンよりは超えていて、30代前半のサラリーマン程度の年収は貰っている。その前はIT系のベンチャー企業(社員30人程度)に勤めていて手取りは18万円程度。そこからわずか2年程で転職して年収が倍になった。

 

そういうストーリーを年末年始に、田舎に帰省し、友人達と仕事の話しをする時に話してみた。すると、一人の友人Yがそういう生活がしたいという事で、いきなり転職相談会になったのだ。

 

友人は、年収や仕事に不満があったので、『東京に来て、Webデザイナー・マークアップエンジニアになってみれば』とうながしてみたところ、田舎から東京に安定した全ての環境を捨てて出て来て専門学校に通って、無事Webデザイナー・マークアップエンジニアになることが出来た。今回は、そのエピソードをこれからWebデザイナーやエンジニアを目指している方の参考になればと思い紹介します。


上場企業のエンジニアの年収
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就職先がなくて、Uターンで田舎で就職

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今は人材の市場環境が良くなって来たので、そこまで就職で困る事がないかもしれない。就職できないかもしれない、という恐怖の感覚が伝わらないかもしれないが、5年前は就職内定率が今程高くなかったので、その時の話しである。

 

友人Yは所謂Fラン大学。偏差値も43と決して人に誇れるレベルではない高校から、AO入試を経て、文系で大学に合国。普通にバイトやそれなりにサークルなど楽しいキャンパスライフを4年間過ごした。

 

就職活動が始まって、自分の誇れる武器がない事に気付く。資格も特にない。そんな人材では大企業に勤めることが出来ないのは自明だった。それでもまだ論理的思考力が高く、話せる、コミュニケーション力が高ければ良い企業に入れる可能性もあるが、友人は決してその能力も高い方ではなかった。

 

そして、友人Yは東京で熾烈な競争争いが繰り広げられる過酷な就職活動に疲れて、東京に別れを告げ、地元での就職活動をして就職を決めた。こういう田舎出身の方も多いのではないだろうか。

 

就職先は親のつてを使って、農家を回って農家から野菜を仕入れさせるという仕事。やりがいを聞いてみると当然ながら、農業にも興味があったわけではないために、やりがいは一切ないという。農業にやりがいを持って職業としている方には申し訳ないが、東京でそれなりに満足できる大学生活を送った後に田舎で、アナログで泥臭い仕事をやるのは少々ハードルが高いのである。

 

ましてや、農家だとおじいさん、おばあさんとコミュニケーションを取らなくてはならず、インターネット業界で楽しそうに仕事をしている私との比較をして嫉妬した部分があったようだ。

 

また、田舎で就職する人の中ではそういう人は少なくない。親のつてで地元に戻って就職する。やりがいや夢、目標なんて二の次、三の次。寧ろそんなものは田舎で就職する上では皆無に等しいのである。また、生活していく環境については、田舎は色々な生活費が安い為に、給料が低くても住む事は可能である。

 

しかし、そこに慣れてしまうと古くからの友人も沢山いるので抜け出さない。その生活が良い、幸せだという価値観の人もいるので自分の価値観を押し付けることなく、私はそっとしておこうと考えていた。

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仕事の愚痴、生活のハリのなさ。年収の低さ

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田舎に戻れば沢山の友人や家族もいるし、それなりの給料で仕事も拘らなければ・生きて行くだけの給料がもらえるので良いのであればそれなりにある。仕事の内容さえ考えなければ…という環境が多くある。

 

毎日平日は17時に仕事を終えて、その足で自分の趣味に興じたり、友人達や同僚と田舎の安い居酒屋に毎日行くという生活もある。

 

そういう中で、友人Yは、東京で働いていてそれなりのIT企業に転職して自分のやりたい事をある程度かなえていて、楽しそうにしている私に嫉妬したかのように『〇〇は良いよなぁ年収も良いし、良い会社で働くことが出来て』などと話をしてくる、人の苦労も知らずに…。と心の中ではずっと考えていた。

 

そんな彼とは高校時代からの付き合いで、高校時代のクラスも一緒に成った事があるのでよく遊んでいた。年末年始に、私が東京から田舎に帰郷した際には毎回のお酒をともにする。ある日、仕事・年収・仕事内容などに不満があるという事でずっと不満話ばかりをしていた。これに関しては、企業に勤めている人であれば誰もが不満の一つや二つくらいは漏らすだろう。

 

しかし、彼は友人であり、不満を聞いていると居ても立っても居られなくなって来た。
彼は、田舎での仕事や友人との関係に不満を持っているようだった。
そこで私は、『東京来てWebデザイナーかマークアップエンジニアになったら?』と話しをした。当然彼はそういう職種がある事が分からないので、説明した。簡単にいうと『Webサイト・ホームページを創る人』。

 

『チラシや書籍、本などもどういう配置で読んだら、ユーザーが読み易いか考えて配置、配色されているでしょ?』そういうものを一から考えて創る人の事を『Webデザイナーやマークアップエンジニアと呼ぶんだよ』というふうに教えてあげると、友人は面白そうと言って、帰ったら調べてみると言って、その日の飲み会は終了した。

Webデザイナー・マークアップエンジニアへの道

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年末年始から1ヶ月が経過したある日に、田舎の友人から『専門学校に通おうと思うんだけどどこが良い?』とLINEが入った。そこで私の母校であるデジタルハリウッドというWeb系の技術を中心として様々な技術・クリエイティブなお仕事の就職のために教えてくれる学校があるのだが、そこを紹介した。

 

数日が経過し、友人は『そこの専門学校は自分の予算を合わないから違うところにしたけど、専門学校の見学の予約をした』とLINEが入った。私はまさか彼がそのスピードで行動に起こすと思っていなかったので、良かったねとだけ返信してそのやり取りが終った。

 

そこから2週間程度して、友人が東京にやってきて専門学校の見学を終えたあと少し電話をしてどうだったと聞いたら悩んでいる様子だった。私は、『人生を変えたいなら行った方が良い』とどこかの宗教家のような言葉を放ってしまったのだが、今となっては彼に会う度に感謝されている。

 

彼は、1週間後に地元での仕事、親元、友人を離れて東京に出てくる事に決めたのだ。全てを捨てるという表現は正しくないかもしれないが、田舎でのんびり仕事や仲の良い友人が沢山居る中で、全てを捨てて、自分の夢や今後の人生の為に新しい挑戦をしようというこの選択をした。無事東京で住む場所やバイト先も決めて、夜間でWebデザイナー・マークアップエンジニアの専門学校に通うことになった。

 

彼は既に社会人になってしまっていたので、バイトしながら夜間で学校に通うなんてことはプライドが高い人なら出来ない事であると思う。色々失う事も多いだろう。未来の人生を考えてしっかり行動に移して、未来を変えていけるチャンスを自ら作り出したという点でその覚悟や勇気に拍手を送りたい。

専門学校での課題とWebデザイナー・エンジニアの就職・転職でやるべきこと

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私も専門学校に通っていたのだが、クリエイティブな専門学校に通えば絶対にその職種で就職できるとは限らないという事を知っていた。半年間で80万近くするコースで、私のクラスでは20人程の生徒がいたのだが、4人くらいは途中から来なくなり、15人中5人程がWebデザイナーで就職・転職出来た。人によっては、少ない…と思う人もいると思うが現実がそんなものだ。それはある意味専門学校での満足度につながるので、専門学校側の課題ではあるのだが。

 

更に、専門学校に通ったからと言って、美術大学を卒業している元々勉強している時間が長い人材よりは明らかに劣っているのである。私の場合はそこからいかに就職・転職マーケットで企業を受ける時に自分のライバルになるか、自分はその人たちを出し抜いて自分が採用されるようにするかだけを考えていた。

 

専門学校に通って、最後の2ヶ月くらいはそういう会社に入るための事をずっと考えていて、スキルに余り手を回せていなかったように思う。東京に出て来て、新しく専門学校に入った友人にも予めその旨は伝えておいた。自分が思う程、その期間内で制作スキルはそこまで上達しない。

 

勿論自分のスキルや頑張り次第だけれども、そこまで才能がないと思うのであれば、専門学校はある意味、通行切符であって、やっとクリエイティブな職であなたはこの企業を受けられますよ、というものであると。だから就職や転職のために制作物の要点や思考をまとめて、論理的に話す事ができるという事が何よりもまず大事であることを伝えておいた。

 

そしたら、友人は意外だなという反応をしていたが、私の経験からそれが分かっていた。自分が企業を受けた時に美大卒の人と一緒に受けた時があった。その人は女性だったのだが、自分の創ったものに全く説明が出来ていなかった。自分の創ったものに説明が出来ないとなると、その職種で就職した時に取引先に説明する事が出来ない。

 

逆に私の制作物は彼女のそれと比べると見劣りするものの、私はすらすら説明することが出来た。何故なら私は、その説明にこそ意味があると分かっていたからだ。最初から、相手がなにを求めているか、何を聞きたいかを考えていないと相手に違う物を返すことになる。

 

それは普段のコミュニケーションにおいても致命的ではないだろうか。相手の求めているものとは違う事はストレスに成る。この人はコミュニケーションが取れない人だなという認識になるからだ。私は、至極当たり前の事をしただけなのだが、それは制作物に対する考え方も同じであり、そこが全ての肝であった。

無事、Webデザイナーで就職して彼は今

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東京に来た彼は今Webデザイナーで無事就職することが出来た。そして、最初の会社ですでに1年が経過しようとしている。働いてみた感想はきついようだが、東京とてIT業界でも一部はかなり給料が安い会社がある。手取りにして18万という会社も少なくないのだ。しかし、私もそういう状況を乗り越えて、1年半程度で給与を2倍以上にする事が出来た。

 

それは、1社目のベンチャー企業に勤めて多くの職種に携わり、様々な経験ができた事が要因である。なので、友人にもベンチャー企業で自分のやりたい職種をやりつつも、他の職種も同時に経験して必死に働いた方が良いと伝えていた。彼はだからきついという話しをしていたが、人間そういう『苦しい・本当に辛い』という経験がないと中々変わる事が出来ないと私は考えている。

 

ベンチャー企業で働いていたときは、良く*デスマという言葉あるように帰る事ができないということも少なくなかった。週3回は徹夜して、他の日は24時に帰宅する。しかも24時に帰宅しようとすると同僚から『今日は早いですね』と言われる事も少なくなく、出来ない自分を攻めて本当に辛かった。かなり過酷な環境であった。

 

それでも取引先や納期があるので絶対にリリースしなければいけないとなると、必死に勉強して、アウトプットに繋げるように努力したのだった。そういう経験を経てないと人は大きく成長する事は出来ないと思う。ただ生活を変えたい、給与を増やしたいと思っている人は多いが、実際にこうどうに移せる人は少ない。

 

友人はその中で行動に起こして、今は成長段階にいる。しかし、彼は確実に以前の生活よりハリのある生活を送り、東京での生活にも慣れて楽しんでいる。友人から電話があって、それなりに充実しているが、まだまだ足りないという話しになった。

 

2年前農業をしていて愚痴ばっかりで夢がない生活・今後が見えない人生であった彼が、少しずつ前向きに、そして確実に人生を変えて行っているのを目にして、自分ももっと頑張らないとと思わされる。

 

最後に『〇〇の何時も真似をしてしまう』と恥ずかしそうにいう彼の少しはにかんだ笑顔から、仕事への充実感と未来への自信を感じる事ができて、友人を『東京とWebデザイナー・マークアップエンジニアに転職するという人生』に誘って良かったと思うのであった。

 

彼の人生は新しく生まれ変わり始まったばかりだが、これからも目が離せない。私は学歴もコネもなかったのに、上場企業のエンジニアとして給料が2.5倍になった。
彼にもそういう人生を歩んでほしいと同時により多くの人に、『これでいいんだ』と諦めるのではなくて、『こうやっていくんだ』と強く生きて、満足の行く生活を送ってもらえると楽しいのではないかと思う。

本当に人生を変えたいという方はこちらの記事も一度読んでみていただきたい。
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無料で体験レッスンもできるので、わからなくてもぜひ試してみていただきたい。

 

*デスマーチの略:
どこまで仕事をしても終わりがないこと。

下記のリンクに未経験でも就職できるWebデザイナー・マークアップエンジニアの職種の求人案件が掲載されているサイトを比較しています。就職・転職を考える方はこちらを参考にしてみて頂ければ幸いです。

 

 

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