東京のIT企業・広告代理店に入社した26歳社会人5年目の男

東京のIT企業・広告代理店に転職で入社した智(さとし)は、経営者を目指し奮闘する。東京という玉石混合多くの人が行き交い、誘惑が交差する都市でどのように生きていくのか。東京・渋谷を舞台にしたリアルライフストーリー。

茨城の田舎からの上京

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私の名前は、児玉智 (こだまさとし)。茨城県の麻生町という1万6千人ほどの小さな町で育った。この町は、畑や山という緑に囲まれ、霞ヶ浦や利根川といった水源もあるという自然に溢れた町である。これといった有名なオブジェクトはなく、霞ヶ浦に釣り人が来たり、広大な土地を利用してゴルフ場が沢山あるくらいで若者にとっては苦痛の場所ともいえなくはない。
この自然溢れる田舎町から上京して、渋谷にオフィスのある東証1部上場企業のIT企業・広告代理店である「サイバージァイアント」に勤めている。東京の渋谷で働き、渋谷に住んで煌びやかな街並みと交差する人々を見て、智は「ずいぶん遠いところにきてしまった」と感慨にふけることも多くなった。
IT企業のイメージというと「リッチマン プアウーマン」などの有名なテレビドラマ、テレビ番組や雑誌、インターネットの影響でキラキラしているように思われるが、そのイメージは例に漏れず、キラキラしている美男美女が揃っているような企業だ。もちろんそうではない企業も星の数ほどあるのだが、サイバージャイアントは、大学生時代や子供の頃からアイドルをやっていたり、雑誌の読者モデルをやっていたという人もちらほらいる。
美男美女が多すぎる所為か、世間では「顔採用」だとも言われている企業だ。本当に顔採用かどうかは不明ではあるが、一緒に働く人のモチベーション維持や、クライアントへ営業する役割の人のことを考えると「顔採用」するのは理にかなっている採用項目の一つなのだ。そんな順風満帆、何の不満もない企業に入社した智だが全てが全て上手く行ってきたわけではなかった。

新卒で入社したWeb制作会社というブラック企業

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緑と水に囲まれる自然いっぱいの田舎の果てから上京して、東京を象徴するようなキラキラした所謂大企業に入社した智は次第にキャリアに悩むようになってきた。智は新卒入社した会社に1年半勤めた。1年半の間はWebデザイナー、マークアップエンジニア、ディレクター、営業など幅広いキャリアを積んだ。1年半勤めたといってもその1年半の間で何度も「転職活動もどき」を何度も繰り返していた。

 

家だけでなく会社でも暇さえあれば、《DODA》などの転職サイトを眺めて気になるところがあればひたすらメールを送っていた。いわゆる転職童貞であったので、転職エージェントや転職サイトはどれが良いのかわからなかった。周りの社員にも相談しづらかったので、智は秘密裏に転職活動を進め、サイバージャイアント以外にも「DeAN」や「REEG」などといったITの大手企業も受けていた。
そして、智の将来のビジョンや働き方に当てはまるサイバージャイアントに入社した。新卒で入社した会社は、ホームページやスマートフォンなどのアプリ製作を企業から請け負って開発するという「受託開発」という事業を中心としている会社だった。受託開発は制作にかかるコストは人件費だけであるが、依頼するクライアントの予算が段々少なくなっていったことで利益率の低い事業になっていた。30人程度だったいわゆる「ベンチャー企業」であったこの会社にいると自分の専門としている職種以外にも様々なことを担当しなければならない。そうしなければ会社が回らないからだ。

 

智は受託開発以外にも新規事業を立案し、進行するという役割も担っていた。会社の利益率が低いという問題を解決するべく、忙しい仲間を誘って自社のアプリケーションを開発した。このアプリケーションは普段の仕事の忙しさもあり、チューニングができずにそこまで伸びなかった。この経験が智ののちの転職で得たいスキルのになってくる。

 

結局普段の自分の仕事にプラスして会社のために新規事業立案や実行して時間を費やしても評価に繋がらず、手取りが18万程度であった。東京で手取り18万というのは相当生活が厳しい。「早くこの生活を抜け出さなければならない」という一心で、毎日9時に出社して24時まで働き、時には何度も徹夜をしていた。24時に会社から帰宅しようとすると「あれ?もう帰るんですか?」と言い合う不思議な会社だった。智は、この時精一杯だったので転職してから「あれがブラック企業だったのか」と思い返すこともある。ブラック企業は目的のために会社に入って、短期間で出るのであれば「ソルジャー養成所にもなるなぁ」と考えたこともあった。

 

受託開発とは、企業のサイトやプロモーションのためにサイトやアプリケーションを作りたいクライアントのビジネスのために開発し、多くの業界や事業に触れるので多くのビジネスモデルを学ぶことができる。多くの事業やビジネスモデルに触れるということは、どこでどういうふうに儲かっているのか大事な肝が勉強になる。智は父親と2歳上の兄が経営者だったこともあり、幼い頃から「社長」になるのが当たり前の環境で育ち、受託開発で多くの事業やサービスに触れたほうが、自分で会社を作った時の地盤になると考えていた。

上場企業に転職後のキャリアに悩む

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東京の私大を卒業して、1度の転職を経験し、26歳になり、社会人5年目だ。社会人5年目ともなると仕事のできる幅も広がって、後輩も出来てきて会社でも少しずつ任される年代だ。任されるようになってくるが、常に自分の武器や今後どうやって仕事をしていくか、年収や給与などについてもより考える時期である。

将来的に結婚して、子供を育てるとなると東京では1人育てて私立の学校に入れるとしても1,000万程度は最低年収が必要じゃないか?と言われているので、そこを目指さなければならないと、自分の給与を振り返る智であった。

仕事内容としては、サイバージャイアントでスマートフォンのアプリケーションやサービスのエンジニアとして働いていて給与は600万以上は貰っている。毎年決算のよい企業なのでボーナスが若干出ているが、同年代の社会人と比較するとそれ以上貰っている人もいるので満足はしていない。

上場企業のエンジニアの給与としては普通もしくは年齢の割には若干高い方なのだが、「今後どのように昇給されていくのか」、「マネジメントタイプとして後輩の育成にもコミットしていく」、「エンジニアとしてずっとプレイヤーでプログラミングを続けていくのか」、などキャリアについては悩みがつきないのであった。

プレイヤーでいたいけれども、ベンチャー企業という名の下に後輩の育成にも力を入れなければいけないのだ。求められると断れない性格なので、その要望にもこたえてしまうのだが後輩の育成が給与に反映されることはないために今後の人生について悩む時間も増えていった。

30歳という社会人区切りの年齢

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どの職業の人でも30歳は結婚や将来を考える節目の歳となるのではないだろうか。30歳が近づくと自分だけでなく家族もざわざわし始める。親であれば自分の子供の息子を見たいと思うのは当たり前だ。
智にとっても、30歳まではあと4年という短い期間であり、大きな分岐点になっている。「30歳までに独立するだけのスキルと1億円を超える事業を作っておきたい」という目標がある智にとって4年というのは長いようで短い。

 

エンジニアでいると様々な企業からオファーやサービスを作りたいという話が舞い込んでくるのだが、独立するとなると自分で事業を考えなければならないし、事業をどのようなものにして継続的な利益をつくっていくかが一番悩ましいところである。
短期間で開発したサービスが「数万ダウンロードされました」なんて可能性すらもかなり低いから、サービスの開発で一生食べていくというのはかなり難しいことがわかる。しっかり将来を見据えて、求められているもの、チャンスがあるものを作っていく必要があるのだ。そういう「嗅覚」を伸ばすための時間もとらなくてはならない。エンジニアが急にマーケティングセンスをつけるというのは、例えるならば英語や中国語を学ぶように全く別言語を勉強するくらい違うことなのだ。

別の視点から考えると社会人として30歳ともなると他の企業からの見る目も変わってくる。当然オファーも事業責任者や部長・係長、執行役員などのように何かの役職につくようになるので、それ位のレベルに達していない場合30歳以降の昇進や昇給などが難しくなってくる。中途半端なスキルで30歳になってしまうとその企業から他への転職の難易度が上がる。

智にとって企業に勤めながらも、独立のことを考え、事業や将来のことを同時に練っていくのは大きなハードルとなっていた。

次へ続く:転職か起業か出世か